自分自身の笑っている顔を見るなんて久しぶりのことで、なんだか気持ち悪かった。

「もうすぐクリスマスだねー」

藍子さんはふとそんなことを呟いた。

「そうだね」

「水無瀬くんはなにか予定あるの?」

あるわけないじゃないか。

「ないよ。そっちは?」

「私も無いなぁー」

意外だな。友達はたくさんいると思うんだけどなぁ。それにその容姿なら男なんていくらでも寄ってくるだろうに。

「でも24、25日って講習あるんじゃなかったっけ?」

たしか担任がそんなことを言ってクラスに猛反発を食らっていた気がする。

「そうなんだよねぇ。あーあ、せっかくのクリスマスが……。だけどなにもすることなんて無いんだけどね。あはは」

「俺も同じだなー。普通に講習に出て、家に帰って、まぁ映画でもまた見るのかな」

「映画好きだなぁ〜」

「まぁね」

彼女は暇なようだ。でも、一緒にいようなんて言えやしない。言ってはならない。俺はこの人のことが好きだ。しかし……なんだか自分が彼女と一緒になる資格がないように思えた。

それは、人種が違いすぎるということなのだろう。俺が友達の少ない物静かな人間に対して、彼女はまるで対極にいる。人付き合いが上手で、人が寄ってくる存在。俺が冬の柊であるなら、彼女は春の桜……。

「水無瀬くんまた何か考えてるでしょ」

その言葉にはっとなって俺は俯いた顔を上げた。そこには黒曜石のように美しく、深い目をした彼女が俺を見ていた。

「ごめん」

「いや責めてるんじゃないんだよ。ただ何を考えているのか気になっただけだから」

「いや別になにも――」

「うそ。水無瀬くん自分では気づいていないかもしれないけど、時々辛そうな顔してるよ」

「そう……かな?」

「そう。見てる人が心配になるくらい、ね。そんなんじゃせっかくのかっこいい顔が台無しだぞ!」

そんなこと初めて言われた。お世辞と分かっていても、俺はその言葉にドキッとするのを抑えられなかった。容姿に関して、そんなこと言ってくれるひとは、ろくにいない。

「水無瀬くん、あたしのこと明るい人間だって思ってるでしょ。違う?」

「そう思ってるよ。違うの?」

「……私はね、水無瀬くんが思ってるほど良い人間じゃないんだよ。汚い部分たくさんあるし……人のこと簡単に傷つけるし」

目線を右下に沈めながら、彼女はそう言った。

藍子さんの汚い部分。そんなこと、俺は知らない。恋は盲目と良く言うが、確かかもしれない。俺は、彼女のそういった部分を一つたりとも言うことができない。

「そうは思えないけどなぁ。友達だってたくさんいるし、みんなに信頼されてるし、頭もいいし、美人だし……」

「……水無瀬くんにそう言ってもらえるとうれしいよ。けど、みんなあたしのことを本当は分かってないんだ。私だって誰かを憎んだり、恨んだり、嫌ったり、するもの」

「それは誰だってそうでしょ」

綺麗なものだけを持って生きている人間などいない。誰もがそんな自分の醜い部分を知り、それを理解し、受け入れるのだ。人間は一生、善と悪と一緒に付き合っていかなければならないのだと思う。

「それは分かってるんだけどね。なんだか、自分の中にあるその悪い部分が、とても嫌になるときがあるの。……けど真っ白な人間になんてなれやしないんだよね」



その日はそれから4人で適当に話をしながら、帰宅することになった。

男2人と女2人に別れて、それぞれ別々の岐路についた。俺は千也と話しながら、今日は自分にとってすごく有意義な日になったと感じた。




「今日はいい日だったな」

自分の部屋に入り、突然そう言われた。

「お、おどかすなよ。なんだよ久しぶりに来たと思ったらいきなりまたそれかよ」

叢は俺の部屋のソファーに座り、天井を仰ぎながら休んでいる。

「……お前まさか、俺のこと監視してたのか?」

「えーとまぁそういうことになるのかな。ははは」

「ストーカーかお前は」

ずっと姿を見せず、どこに行ってたのかと思っていたら、まさか監視してるなんて。

「別に監視しなくたって俺は変なことしないって」

「ふむ」




しかし、俺は密かに心に決めていたことがあった。

旅。いや違う。死に場所を探す行為。それを、12月中には決行しようと思う。

俺は、叢に気づかれないようにこの家を出て行く。もはや残り僅かとなったこの体に終止符を打つべく。

金銭面では問題ない。俺のクローゼットの奥に10万程の金がある。それを使うつもりだ。

どこへ行こうか。

見当はある程度ついてはいるが、雪国というだけで漠然としている。

とりあえずは北へ向かおう。そう。そうしよう。







それから日々は、早く流れて行った。

街はクリスマスの装飾であふれ、行き交う人々からは情緒の熱い息が吹き零れる。雪は降り続け、太陽は鈍くなる。空気には、冬独特のひどく心を震わせるなにかが漂っていた。

冬の冷たさは、内に息づく熱い熱い心意を気付かせる。

街頭を歩くとき、吹雪に体を阻まれるとき、肌に雪が触れるとき、吸い込んだ空気を肺に送る瞬間。自分の内に広がる心界が見える。

俺は死を見つめて、それをより一層感じることができた。

死というものは様々なことを教えてくれた気がする。それは命の価値とでもいうべきなのであろうか。すべて。そう、すべてを見るときに、この世界に対する自分なりの愛着がどうしようもなく深かったことに、俺は困惑したのだ。

もともと興味がないように思っていた学校でさえも、俺は名残惜しかった。

それは、藍子さんがいた学校だったからなのかもしれないが。





12月24日。

千也たちと遊んだ日から13日が過ぎていた。

冬休みに入ったにも関わらず、やはりその日は予定どおり講習があった。

クリスマスイヴというだけあって、人数も全体の4分の3くらいであった。それは普段不真面目な生徒であったり、勉学よりも違うものを優先する生徒。まぁそりゃそうだろうな、と俺は納得せざるを得なかった。

そんな中、言葉通り藍子さんは学校に来て、俺の隣りに座った。

「水無瀬くん、おはよう」

いつもと変わらず、ストレートで肩まであるその髪は、さらさらと制服の上を流れていた。

「おはよう。クリスマスイヴだねぇ」

「だねーー。なんだかここにいる自分が情けないわぁ」

「ははは。俺もだ」

朝の雑談。およそ1ヶ月前とは比べ物にならないほど、仲良くなれたなぁと実感する。



冷えた教室の空気は次第に温まり、つまらない授業。自分にとって別にどうでもいい授業が、俺を通り過ぎていく。

そんなことを思っているのに、家に帰ればどうせ今日の復習をする自分がいる。なんて情けない。

「水無瀬くんは今日と明日はほんとに何も予定がないの?」

ふと授業合間の休み時間にそんなことを聞かれる。

「ないねぇ」

「あらあら」

「そういう自分こそ」

「私もないのよねぇ」

「ふーむ」

俺はただ黙るしかなかった。この人と今日一緒に俺がいるべきではないし、いたら相手も困るだけだろう。

そんな気の抜けた話から今日は始まった。



講習は普通の授業とそんなに変わりはなく、先日渡されたプリントを予習し、今日その解説という至って簡単なものだった。

世界史の講習の中で、パラパラとめくった資料の中にエンゼのこんな言葉が載ってあった。

「人間はまだ十分に幸福ではなかったからこそ死を恐れるのである。最高の幸福に恵まれれば、すぐに死にたいと思う」

そうなのだろうか。でも理屈としては理解できる。ということはつまり、俺も依然として幸福ではないからこそ死を恐れているのだろう。

なんだかもう、死に対しては俺は何か吹っ切れてきたように思えた。

自分は死ぬ。ただそれだけの事実なのだ。



なんだかんだで夕方になり、講習も終わりを迎えた。外は小さな雪の粒がゆっくりと降り注いでいる。

俺は今日の放課後にすることをもう決めていた。



音楽室はこの前来たときよりも寒く、自分の体を貫いた。

空は深く、暗い紫に染まり、その色と綺麗な雪が漆黒のピアノの表面に見事に映った。

クリスマスといえど、俺には弾ける曲が3つしかないので今回は残り二つの曲のうち、こちらの曲を弾こうと思う。

ショパン作曲、“別れの曲”。

この曲は簡単で、俺はピアノに手を置くだけで思い出すことができた。


薄暗くなる窓の景色に反響し、ピアノ音が心に吸い込まれる。

ピアノと一体化していく感覚。この世界に溶けていく。自分の体はまるで崩れるかのように、粒子となるかのように。

一つ一つの音が、昇華してゆく。

やっぱり、俺はこの感情が、好きだ。



そこでふと、教室の外から人の声が俺の耳にかすかに入った。俺は演奏を止め、耳を澄ましてみた。シンと静まり返った中に、遠くの方から人の話し声が聞こえる。

「……の前………にいたね。…にしてたの?」

「友達と遊んでたんだよ」

この声は…まさか。俺は音楽室の窓際により、外を覗いてみた。音楽室から少し離れた廊下で、藍子さんと、同学年の葉山という知っている男子がいた。

どうして葉山が……?

しばらくの沈黙の後、藍子さんが息を吸って切り出すのが聞こえた。

「…隆之介くん、なんで今日呼び出したの?」

冷たく、張り付いた空気を壁一枚越しに感じる。俺は、自分でも嫌になるくらいに、ドアに背中で寄りかかりながらその会話を聞いていた。

「えっと……うん。今日はね、ちょっと話したいことがあって」

「話したいこと?」

窓の外には小さな雪がゆっくりと空から降り注ぐ。紫黒に彩られた夜空を無数の白が幻想的にカーテンを下ろす。こんなシチュエーションなら、さぞかし素敵な絵になってるだろう。

今度は長い長い沈黙。自分の心臓音が妙に大きく聞こえる。これは……危惧だ。そんな不安は、悲しくも的中する。

「俺……藍子ちゃんが好きなんだ。付き合ってください」