一風変わった喫茶店。

俺と千也は、帰りに時々寄る流慧橋近くのアンティーク風の店で、コーヒーを飲みながら話していた。

今日は12月7日。雪は昨日あたり時々降っていたが、地面には全く積もっていなかった。今日の空はきれいな青。太陽がまぶしかった。

午前中だけ講習だったため、午後が空いた俺たちは久々にこの喫茶店に来てみたのだ。暖かな静寂の中、店の窓際に座る。

「今日は彼女と一緒じゃなくてよかったのか?」

俺は言うと同時に熱いカップに口をつけた。

「久美は今日も部活。吹奏楽は最近大変だからなぁ」

午後2時の太陽の光は、窓ガラスを通って俺の横顔に降り注ぎ、コーヒーに反射した。自分の顔がその中に見えた。

喫茶店の中はどれも西洋風のものばかりで、古い木材がニスによって光っていた。マスターは年老いた白髪と長いひげを生やした人で、いかにもその道のベテランっぷりが窺えた。

店内は暖房が適度に効いており、外との空気を遮断していた。

しばらく沈黙が続き、千也が口を開いた。

「……なあ水無瀬、お前何か悩んでることないか?」

「ん?」

珍しく千也は深刻そうな顔で俺に言った。

「いや、なんとなく」

「ふむ」

「……ないのか?」

なんだか千也らしくないな。いつもならそんなに詮索しないはずなんだが。

「別になんもないけど?むしろうまくいってると思ってるんだけど」

「そうか……」

「俺、表情暗い?」

「―――ん、まぁな。少し暗いときがあると思ったけど俺の勘違いだったらしいな」

千也も気付きつつあるのか。まあ死ぬと言われた後の数日は結構取り乱していたときもあったしな……。最近じゃ取り乱すどころか少しづつ絶望してるときも多いし。

なんだか心配してくれている人がいるのはありがたいな。気持ちが少し楽になれる気がする。

「さぁてこれからなにしよっかねぇー。暇だぜー。全く持って暇だ!」

千也はいきなりいつものモードに変わって座ったまま伸びをした。確かに、今日はもうなにもすることがない。

「はぁ」

あまりのつまらなさに溜息がこぼれる。喫茶店には俺ら以外には誰も客がいない。静けさの中で、年季の入った大きい古時計がコチコチと鳴っている。

「なぁマスター。すっごい暇なんだけどなんかおもしれぇことねぇ?」

千也は人と仲良くなることが早いことをいいことに久しぶりのマスターに気の抜けた声をかけた。

「なんじゃ、久しぶりに来たと思ったらだるい声なんかだして。わしにとってのおもしろいこととお前らのおもしろいことは同じではないじゃろう?」

「まぁ言えてるな」

「もう若者のことにゃわしはさっぱりじゃ」

またそこで再び沈黙が始まり、同時に眠気が始まった。


俺と千也はそれから喫茶店の暖かい空気の中、うとうとしていた。すごく無駄な時間のような気もするが、なんだかそんなことはどうでもよく感じた。

なんだかんだで5時までいた俺と千也は、適当に話した後それぞれの家に帰った。


家に帰り、真っ暗な部屋の電気を点ける。誰もいない冷たい空間は、電気をつけたところで俺に安心感を与えなかった。

食卓に用意されていた夕食をレンジに入れ、エアコンとテレビのスイッチを入れた。俺の体にまとわりついた12月の冷ややかな空気は、部屋のエアコンをつけてもなかなかとれず、寒かった。

テレビでは天気予報が流れている。明日は雪。最低気温は−3度だそうだ。

出来た夕食の親子丼を食べながら、俺はふとあることを思いついた。

そうだ。どこか遠くへ行こう、と。誰もいない冬の真っ白な中で、眠っていれば、凍傷なりなんなりで楽に死ねるかもしれない。

頭にそう浮かんだそのときから、俺はなんだか楽な気持ちになれた気がした。




12月8日。いつもどおりの学校が今日も始まった。

数学に始まり、現代文、世界史、生物と続いた。俺は、全く集中できなかった。なんだかすごく気持ちが悪い。これは身体的なことじゃなくて、精神的なこと。

心臓を握られている感じがする。息が詰まりそうなほどに、とても、重い。

俺は苦しくて何度も保健室に行こうと思ったが、一度も行ったことのない場所に行くのは、なぜかはばかられた。

そんなふうにしてやっと昼休みになり、俺は少しだけ気を抜いたのかもしれない。

「起立、礼、着席」

誰かが号令をし、教室が騒がしくなった。立った状態で何かを買いに歩こうとしたそのとき、俺はなにか奇妙な感覚に襲われ、視界が暗転した。それからは、覚えていない。
























どこまでも暗い闇。この感覚は、自分の体が沈んでいく感覚だ。

何も見えない。何も聞こえない。吐き気がする。胸が痛い。全身が冷たい。指先まで、つま先まで。

光がほしい。あったかい光。早く自分の体を照らしてほしい。

俺が、消える。
































最初に感じたのは温かさだった。天井が白く、窓から差し込む光は少し赤い。

自分がベッドに寝ていることに気づいて、ようやく俺はここが保健室であるとわかった。

上半身をゆっくりと起こして、窓の外を見た。外にある太陽は、わずかながらに西に傾いていていた。時計をみると、3時を指している。

「……」

空ろな意識の中、どうしてここにいるのかを考えてみた。確か俺は教室にいたはずなんだ。だけどなんだか席を移動しようとした瞬間に……グラッと視界が歪んだ。

「はぁ」

とりあえずため息を吐いてみた。と、そこで誰かの声がした。

「あら、やっと起きたみたいね」

白いカーテンに遮られた向こうから、聞き覚えのある声。たしか保健室の先生だな。カーテンをサッと開けられ、保健の先生は俺に微笑みながら言った。

「あなた、昼休みになってすぐ倒れたのよ。覚えてない?」

「……はぁ」

倒れた?あれが意識がなくなるっていう感覚なのか。全然何が起きたかわからなかった。

「すいません」

「別に私に謝らなくてもいいのよ。それよりクラスの人にお礼言っときなさいね。確か小笠原君が運んできてくれたから。あと女の子も一人来てたわね」

千也が運んで来てくれたのか。朦朧とした思考で、唯一の友達が助けてくれたことにありがたさを感じた。きっともう一人の女の子っていうのは保健委員の安達だろう。

少しだけ気分が良くなっていたので、俺はベッドから抜け出して保健室の真ん中にあるイスに座ってテーブルに腕を乗せた。

「しかし気を失うだなんて、一体どうしたの?」

「……寝不足です」

いろいろと詮索されるのも嫌だったので俺は適当にそう応えていた。

「何をしていたのかは知らないけどほどほどにしときなさいね。どうする?早退する?」

「いえ、戻ります」

「そう。それじゃ、これ書いて」

案外先生は特に問い詰めたりもせず、ある種のやさしさでそっとしておいてくれた。

俺は渡された紙に症状や保健室に来たときの時間帯を書いた。6時限目も既に始まっていたので、早々に教室に戻ることにした。

「あまり無理しないようにしなさいね」

その一言を後に俺は保健室の扉を閉めた。




ガラッと教室のドアを開けると、クラス中の視線が俺に向いた。全員が全員、驚いている。

俺は別に気にもせず、英語の藤田先生に断ってから自分の席に着いた。

「……からだ、だいじょうぶ?」

席に着いてすぐ、隣りの藍子さんから小さな声で聞かれた。

「だいじょうぶ」

俺はなんだかすごくみっともないところを見せてしまったことを後悔した。どんな風にして倒れたのかは知らないが、保健室に運ばれるなんて本当に情けない。

「水無瀬くん、本当にだいじょぶなの?今も、顔真っ青だよ?」

「だいじょぶだいじょぶ。なんか疲れがたまってるみたいでさ、少し体が重いだけだから心配しないで」

俺は自分でも驚いたが、藍子さんに精一杯の笑顔を向けて強がってみた。彼女の目はとても心配そうで、それが一時的な感情なのであるにせよ、俺はうれしかった。

「でも……」

「心配してくれて、ありがとう」

「……」

彼女は開きかけた口を止めて、心配な表情のまま黒板の方に向き直った。

窓の外は雪が風を受けて流れており、校舎は白く染まっている。灰色に淀んだ鉛のような雲は、まるでじっと座り込んでいるかのように空に留まっていた。



授業もやっと終わった途端、千也が前の席から走ってきて声をかけてきた。

「水無瀬!だいじょぶか!?いやぁまじびびったぞ!」

「保健室まで運んでくれたんだよな。悪い」

「いったいどうしたんだ?最近お前どこか無理しているように見えるぞ。なにか悩みがあるんなら言ってくれよ!」

真剣な表情。今まで見せたことのない顔をして、千也はおれにせがんだ。

「……」

「…いや、わりぃ。でもあんなふうに倒れたら誰だって心配するぞ」

「覚えてなくてな。気持ち悪くなったのはわかるんだけど」

「とにかく家帰って早く寝とけって。明日も無理して学校こようとすんなよ?」

久しぶりにそんなこと言われたな、と思った。家に帰ってもそんな台詞を言う奴は、いないのだ。

「ああ」

ふと千也の後ろを見ると、藍子さんがこちらを覗いていた。この視線は、おそらく心配の類。

俺も幸せ者になったな……。心配してくれる人がいるというのは、それだけでうれしい。もしかしたら、俺はそんな単純なことを欲していたのかもしれない。

俺はどうしてもこの状態では彼女とうまく話せる自信がなかったので、千也を追い越して早々と教室を出ようとした。

教室を出る際に、誰かが自分を呼んだような気がしたが、聞こえないふりをして俺は扉を閉めた。



下校。静かに歩いていた俺は、最近叢が顔を見せないことに気づいた。あいつにも、やっと帰れる場所ができたのだろうか。

誰もいない閑散とした道路を歩きながら、肌に受ける風とどこかへ流れ去って行きたい。そう思った。