席が隣りになって以来、俺は藍子さんと少しずつ話すようになった。 以前の俺とはまるで比べ物にならないくらいに。なんだか本当に不思議だ。 そして叢が俺の教室でその光景を見た日、家で随分冷やかされた。 「水臭いな水無瀬くん……どうして俺に相談してくれないんだ!?」 「は?」 叢はなれなれしく俺の肩を組みながら言ってきた。一体なんなんだこいつは。大体、自分自身に言われてるみたいでほんと気持ちが悪い。 「君の恋の話だよ!お隣りの席の!…好きなんだろ?」 どうしてこうすぐにばれるものなのだろうか。俺はそれほど分かりやすい人間だったのだろうか。 「……」 「やはり図星か。顔似てるだけあってなんだか俺たち通じ合うものがあるな!」 「お前と一緒にすんな」 「いやはや。あの冷たい水無瀬くんがまさか素敵な恋をしていたとは!俺は全面的に応援するぞ!」 なんだかイライラしてきた。こいつは分かっているんだろうか。俺があと少しで死んでしまうことを。 「……俺はもうすぐ死ぬんだろ。だったらもうそんな人への好意なんて意味ないじゃないか」 最近よく思っていることだった。特に藍子さんと喋っている時に。 話しているときはすごく幸せな気分であると同時に、俺はその行為が本当に無意味なものなのにしか見えなくなってもいたのだ。それに……仲良くなれば、余計死ぬのが辛くなる。 「本当にそう思うか?」 叢は急に真面目な顔をして言った。 「……わからない」 俺にだってよく分からない。まだ17年しか生きていないんだ。そんな漠然とした疑問に、答えを見つけることなんてできない。 学校は、皮肉なほどに楽しかった。 藍子さんと話すとこんなにも世界が違う。今まで、どこかつまらなくて味気の無かった俺が見ていた世界は、ほんのささいなことで変化した。 それは俺の思いあがりでしかないのかもしれないのだけれど……。 今日は12月5日。最初こそは少し降ったが、雪はその時以来は姿を現さなかった。 俺は雪が好きだった。 すべてを真っ白にしてしまう雪は、もう一度なにかを再生しなおしてくれる気がするからだ。 昔まだ小さかった頃、東北地方にある母親の実家に帰ったとき、田畑一面雪が積もっていた光景に不思議と感動した覚えがある。 自分以外のあらゆるものが真っ白で、寒さによって余計に静けさが引き立たれる世界。それは俺が望んでいた世界だったのかもしれない。 やはり二年の冬にもなると進路のことが少しづつ話題になる。 俺は担任に返された先月の模試結果を見ながら、自分にとって進路とは最早どうでもいいと思った。 叢の予言どおりになれば、俺は死ぬ。あいつが嘘でもついていない限り、俺は確実に死ぬだろう。そう深刻に考えていたら隣りの藍子さんに声をかけられた。 「どうしたの水瀬くん。模試の結果……悪かった?」 「いや」 俺は大分緊張しなくなっていたので、普通に喋る。 「いつもと同じだよ。あんまよくも無いし、悪くもないんだ」 「へぇ〜。……見ていい?」 「うん」 彼女はすごく大きな期待を目に輝かせながら、俺の模試結果をまじまじと見つめている。 「総合偏差値58じゃん。水無瀬くんってやっぱ頭いいんだね〜」 「いやいやそんなそんな。60いかないから」 内心、彼女のほうが俺より成績が良いじゃないかと思いつつ、俺はその横顔を見つめる。ほんとうに綺麗だ。 「でもすごいよ!英語なんて63もいってるじゃん!!学年で19位!?」 「英語だけなぜかいいからね……」 「ふーん、すごいなぁ。私英語57だよ?」 「英語苦手なの?」 藍子さんにまさか勝てる教科があったとは。驚きだ。 「いや英語って一番教科の中で難しくない?単語とか文法とかイディオムとか!」 「あぁー。そういえばそうだよね」 彼女はうんうんと頷きながら今度は俺の志望校の欄を見ている。なにやら本当に興味しんしんのようだ。 「へぇーー。水無瀬くんって英文学科志望なんだぁ。やっぱり英語が好き?」 「……いや、別にそういうわけじゃないんだ。ぶっちゃけるとなんだっていい。俺、夢とかそういうの、ないから。ただ単に英語がいいからそう書いてるだけ。藍子さんは?」 「うん。私だってちゃんとそういうの持ってるってわけじゃないんだ。でも本とか好きだから、文学のほうに進みたいっていうのはあるんだー」 「十分すごいよ。俺なんかとは全く違う―――」 俺はなんだか自分が本当に嫌になった。ただ流されて今まで生きてきた人生。そしていざ自分を変えたいと思ったときに、死んでしまう自分が。 どうしてもっと変わろうとしなかったのか。 どうしてもっと自分の意思を持とうとしなかったのか。 ただめんどくさいという理由だけで、そうしなかった、自分。変われていれば、もっと別の人生を歩んでいたかもしれないのに……。 「―――みなせ、くん?」 ふいに不安げな彼女の声がした。どうやら、俺は彼女を心配させてしまったらしい。 「あ、ごめんごめん。少し、考えごとしてて」 「……うん」 なんだか空気を悪くさせてしまった。だけど俺はもうそれ以上、進路に関する話はしたくなかった。 放課後。 俺は今日千也がいないので1人で帰ろうと思った。が、家に帰ってもなにもすることがないので俺はただなんとなく屋上へ行った。屋上には珍しく誰もいなかった。それもそのはず。屋上は震えるくらい寒かった。 屋上の周りは鉄柵に囲まれていた。入り口の上にも登ることができ、そこがこの学校で一番高い場所だった。結構人気のある場所だ。 俺は震える体を揺らしながら、奥のほうの鉄柵に歩いて行った。 鉄の柵は思っていたよりも冷たく、そして校舎は思っていたよりも高かった。西の空には太陽が沈みかけ、以前見たような美しい夕陽が、たくさんの雲たちの影を水彩絵具で描いたように伸ばしている。 寒かった。もう12月なんだ。俺は歯をかすかに震わせながら鉄柵に寄りかかって太陽に視線を合わせた。 風は全くといっていいほど吹いていない。この空を見たら夏の空と勘違いしそうな気がする。 校舎からぞろぞろと下校する生徒や、部活のジャージを着た運動部の走る姿が見えた。2,3人の生徒が教室の窓から帰る人に手を振っている。 俺は、不意に泣きたくなった。なんだか最近悲しくなってばっかりだ。なにやってんだろう、俺。 なんだか周りの物すべてが名残惜しいのだ。2月になったら、俺は本当にここにはいないのだろうか。あの一人一人の人間の中に、もう俺は溶け込むことができないのだろうか。 オレンジの光の中、学校は美しく染まる。反射する窓、自転車、コンクリートの壁、時計台、人の手、笑顔。 すごく、悔しいんだ。 俺はそう心で叫びながら、鉄柵に出来るだけ体を近寄せていた。その時、俺の肩を誰かが手で引いた。 自分自身だった。叢は俺のことを少し睨んだあと、「危ないぞ」と言いながら柵に俺と同じように腕を置いた。 「この学校も変わった。校舎は新築、俺の知ってる先生もいなければ知ってる風景もない。悲しいもんだな」 「どうして俺のいる場所がわかった?」 「そこ」 叢は屋上の入り口の上を指差した。 「そこで寝てたらなんとまあ水無瀬くんがやってくるじゃあありませんか」 「……あっそ」 「まさかよからぬことでも考えていたんじゃあるまいね?」 「そんなわけねぇだろ。俺は臆病なんだ」 「なら安心だ」 叢は学校の校舎を上から見渡していた。今思えば変なやつだ。どうして校舎も変わって先生も変わったのに未だにここに居続けているんだろう。それほどこの学校に執着してるんだろうか。 「お前はどうしてここから離れないんだ?」 「ん?」 「もう変わってないものなんてないんだろ。だったら別にここに居る理由なんてないじゃないか」 「……まぁ、な。確かにここはもう全部変わっちまってなんにも残ってない――――けどな、俺にはもうここくらいしか居場所はないんよ」 「――居場所?」 分からない。そういうのは生きている人間が言うセリフじゃないのか。 「幽霊ってぇのはな、大体自分と関わりのある場所にしかいけないもんなのさ」 「だったら自分の家とかにはいかないのか?家族とかまだ生きているだろう?」 叢は目を閉じ、くるりと後ろを向いて柵に乗りかかった。 「まぁね。一応家族は生きてる。しかしはたまた偶然なのかなんなのか知らんが、俺はどこまでもお前と似ていてね。家庭の面ではそううまくいってなかったのさ」 「……そうか」 俺はもしかすると叢の未練の念がつくりだした、分身なのかもしれないとそのときなんとなく思った。 「おまえにも好きな人がいたのか?」 どこまでも似ている二人。だとしたらきっとこいつにも思っていた人がいたんだろう。 「まあ一応、な。片思い人間だったんで俺は」 「とことん似てるんだな」 「だからお前にはこのままで終わって欲しくないと思ってる」 叢は目を横にずらし、腕を組みながら俺にそうつぶやいた。唯一変わっていないのは紺色の未ヶ原南高校特有の、制服。 「……」 「人に気持ちを伝える事が辛いことは俺だってわかってる。でも、俺はやった後悔よりもやらなかった後悔のほうが強く引きずってしまうことを死んで初めて知った――」 思いは告げたい。自分でも無意識にそう心に浮かび上がっていることに俺は気づいていた。―――だけど本当に俺は行動に移せるのだろうか。俺は……自分をさらけ出す事ができるのだろうか。 気がつけば空気は随分と冷え、雲が空をところどころ塞いでいた。 「――雪」 降ってきた。広い冷えた大空から、白い結晶が。 雪は肌に触れ、俺の体温で、消えた。 |